国の観光に関わる中期計画である、観光立国推進基本計画の素案が2月上旬に出され、2週間ほどパブリックコメントを募集していました。
コロナ禍を経験して観光が置かれる状況が目まぐるしく変わってきたこの数年間を踏まえ、国が観光をどうしていきたいのかという意思表明であるこの計画。今回の計画は、「持続可能な観光」「消費額拡大」「地方誘客」がキーワードになっています。
いい機会なので、ゼミ生有志とこの計画素案を読み、パブコメで意見表明をしてみました。
これからの国の観光計画を自分ごととして考えることが大切だ、ということを観光を学ぶ学生に伝える機会として重要だという意識のもとでの意見表明でした。
素案はこちらから閲覧できます(そのうちリンクが切れそうですが)
https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001586268.pdf
ーー以下、提出パブリックコメント全文ーー
コロナ禍で停滞し、一時は「不要不急」と批判もされてきた観光ですが、本計画の推進によって再興していくことを期待して素案を拝読しました。観光という誰もが当たり前にできるはずだった「人間の営み」ができなくなる状況を経験したからこそ、改めて観光の持つ力や観光の意義を伝える機会でもあると思われますし、その意味での本計画の重要性は大きいものと感じる次第です。 その上で、観光研究者、そして観光を学ぶ学生の視点から本素案を拝読して感じた疑問等をパブリックコメントとして提出致します。
1. 「人数に依存しない指標」及び「消費額」「消費単価」を重視する考え方について コロナ前の人数達成を目標とした政策からの方向転換は、過去の反省に立つという点において評価できるものと思われます。また、消費単価の高い、「高付加価値」な訪日客をターゲットとして誘客することは日本経済を支える上で重要な点であると考えられます。
しかし、コロナ前には毎年訪日外国人旅行者数の記録更新が大々的に報じられていたのと同じように、「消費額」「消費単価」という「数値目標」の達成状況のみが注目されてしまうと、観光振興の目的を見失いかねず、留意が必要だと考えます。つまり、消費単価や消費額という数値目標にばかり重点が置かれすぎてしまうのではなく、「日本ならではの地域の観光資源(自然、文化・歴史、地場産業等)を保全・活用したコンテンツの造成・工夫」による訪日客の消費単価向上を目指すという点を是非とも強調してください。そうではないと、民間事業者による安易な「稼ぎ方」を重視した事業や、法外な価格設定が展開されかねません。
日本の観光政策の歴史を振り返ると、戦後間もない頃、外客誘致による日本経済の復興が叫ばれました。当時、日本が経済的に豊かではない状況において、不当な旅行商品の販売等、いわゆる「ボッタクリ」が問題化し、旅行者の保護を目的に様々な法律が作られていました。今回の計画においても、「稼ぐ」という視点が独り歩きしてしまうと、外国人旅行者に不利益を生じさせるような民間事業者のサービスが生じないとも言えません。それは結果的に、日本の評価を下げることにも繋がり得ます。「日本ならではの地域の観光資源(自然、文化・歴史、地場産業等)を保全・活用したコンテンツの造成・工夫」という「稼ぎ方」について、適切にDMOや民間事業者を指導する立場として観光庁には期待します。
なお、1990年代後半の、観光立国直前においては、円高の影響で外国人にとって物価高であるゆえ訪問先として日本が選ばれてこなかった状況を鑑みて、「旅行費用の低廉化」を目的に政府が政策を行っていた時代もありました。経済効果だけではなく、(たとえ消費額が小さい客層でも)外国人が日本を訪れてもらうことによる交流的価値を評価する視点も継続して持っていただきたいと考えます。
その一方で、統計としては出入国者数に関するデータは、観光統計の中でも最も正確性が高く、国民にインバウンド観光の状況を示すのに分かりやすい情報でもあります。そのため、今後もメディア等で訪日外国人旅行者数が大々的に取り上げられることと予想されます。また、国としては「人数に依存しない指標」を定めたとしても、地方自治体レベルではまだまだ人数を指標とすることが考えられます。 国として、「人数に依存しない指標」を定めることの意義を、広く観光に関わる主体に説明していくことも重要ではないかと思われます。
2. 「質の向上を重視した観光(p.3)」「観光の質的向上(p.5)」の意味について 本計画案では、p.12上部に「質を重視する観点から、人数に依存しない指標」を設定するとされていますが、ここで言う「質」とは何かが分かりにくく、一見すると「国内で多額の金額を消費してくれる客」と読めます。しかし、消費行動には様々なタイプがあり、かつて話題にもなった「爆買い」のような消費行動をする旅行者から日本固有の文化体験のためにお金を掛ける旅行者もいます。「消費をする=質が高い」であり、「消費をしない=質が低い」という単純なものではないかと思われますので、もう少し多様な見方で日本にとってあるべき外国人旅行者像を検討されてはどうでしょうか。
また、海外では「serious tourism」という考えがあります。日本語では「観光客の観光に対する真剣さ」とも訳されるこの考え方ですが、本計画案に記されている「日本ならではの地域の観光資源(自然、文化・歴史、地場産業等)」を楽しむ観光も真剣さを測るものになりえます。ある研究によると、真剣度が高い(つまり、よりその地域ならではの魅力を感じようとする姿勢を持つ観光客)ほど、地域での消費額が高いという結果も出ています。ですので、「消費額を上げる」「消費額の高い層を誘客する」ことを目的とするのではなく、日本が持つ地域固有の文化・自然体験に関心のある客層に来訪いただくことが目的であり、それが高い消費をする客層にもなるという視点もあるのではないかと感じました。
3. 訪日外国人旅行者1人当たり地方部宿泊数の目標値(p.14)について 訪日外国人旅行消費額の目標を達成させるためには1人あたり宿泊数を10%増加させる必要があるという根拠から、1.5泊という数値が出されています。しかし、この10%増というのはあくまで都市部も地方部も含めた全ての平均値として押し上げるべき数値であり、今回の計画のキーワードの1つが「地方誘客促進」であるならば、地方部での目標は10%を超える増加率を設定しても良いのではないかと感じます。むしろ、それくらいの目標値を掲げていただき、地方の文化・歴史等を楽しみたいと思う訪日外国人が泊まりたくなるような地方に変えていくための政策を展開されることを期待します。
4. 日本人の海外旅行について(p.14) コロナを経験し、海外との心理的距離が遠ざかってしまった今、改めて海外を知るという旅行の意義を日本人、特に海外旅行を経験していないような大学生や若者に伝えていくことや実際に海外に出向く機会を作ることは非常に重要なことと思われます。その一方で、円安や海外情勢の不安定な状況を踏まえると、それは容易ではないことも想像できます。訪日外国人の旅行消費額拡大に向けて「足元の円安のメリットも生かす(p.6)」のであれば、「若者の海外旅行や海外留学の促進(p.6)」に向けてもまた「足元の円安」のデメリットを緩和するような具体的な政策を期待します。
5. 世界に誇る観光地形成について(p.20) 「世界に誇る観光地形成に向けた観光地域づくり法人(DMO)の形成」とありますが、「世界に誇る観光地」を形成することと、「世界的なDMO」を形成することは必ずしも同値ではないように思われます。素案によると、「世界的なDMO」を①観光による地域全体の活性化の仕組みがあること(経済受益)、②戦略が持続的に策定されること(組織の安定性)と定義していますが、「世界に誇る観光地」には、優れた都市景観の形成や地域資源の保全、民間事業者による高品質なサービスなど、様々な要素があり、それはDMOの活動だけで実現できるものではありません。つまり、どういう状態の観光地を「世界に誇る観光地」と捉えているのかが分かりにくいため、補足が必要ではないかと考えます。 また、仮に「世界に誇る観光地」を「世界の外国人旅行者が訪れたくなる観光地」とするのならば、コロナ禍を経験した今、外国人だけでなく国内マーケットが訪れたくなる観光地を形成することが観光地の持続性を高める上では重要ではないかということも感じる次第です。
6. ALPS処理水の海洋放出と観光について(p.31) ALPS処理水の海洋放出による風評対策として海の魅力を高める、とありますが、海の魅力を高めることが風評対策になるという考えには違和感を覚えます。ALPS処理水の海洋放出により海が危険になるという誤った認識が風評へと繋がるという認識であれば、その誤った認識を改めていくことが重要であり、そうではなく「海の魅力を高める」方法を取ろうとするのは、根本的な問題(ALPS処理水が危険だという誤った認識)を隠すことを国が推奨するようにも読めてしまい、より観光客の信頼を失ってしまうのではないでしょうか。
7. キャッシュレス環境の改善について(p.59) 海外発行カード利用可能なATMの設置に向けた支援を行うことが記されていますが、これは、言い替えると外国人にはATMで現金を引き出し、現金を使って店舗で買い物等をすることを促そうとしているように思われます。これは、「キャッシュレス環境」ではなく「キャッシュ環境」の整備にあたるのではないでしょうか。もちろん、ATMの設置を否定する訳ではなくこうした支援も必要だと思います。しかし、利便性を高める上では、各店舗におけるクレジットカード決済の対応促進に向けた支援も必要ではないかと思われます。 地方の農山村エリアにATM(しかも海外発行カード対応)を設置するというのは銀行にとってはまだコストが高いように思われます。
8. ウポポイ来場者数の目標について(p.39) 計画全体としては、人数を目標としないとしつつも、施設単位では人数が目標となる点が印象的でした。ただ、来場者数100万人を達成するために文化体験プログラムを充実させるというのではなく、本来は、アイヌ文化の正しい理解の促進が目標であり、その先に結果として来場者数があるのではないでしょうか。誘客を目的とするのではなく、文化理解を目標とする考え方を前面に出すほうが、文化施設関係者の観光に対する理解も高まるように思われます。
9. 政策(史)研究の視点へ 観光に関する学術界の役割を高めていくことも、これからの日本の観光立国を推進していくためには重要ではないかと考えます。コロナ前のインバウンド政策や観光立国推進基本計画、地方創生の柱としての観光の政策評価、コロナ禍で行われたGoTo トラベルキャンペーンや地域割、全国旅行支援の効果と課題を検証するほか、より長期的な観点から観光政策を分析するなど、学術界と政策立案者、民間事業者等との関係構築を検討されてはいかがでしょうか。
10. 今回のパブコメ自体に対して p.69に観光立国実現に向けた住民の役割が記載されています。観光立国推進基本法にも同様に住民の役割が明記されております。コロナ前のオーバーツーリズムの問題で観光は批判的に捉えられ、コロナ禍の経験においてもある時は「不要不急」として批判され、ある時はGo To Travelキャンペーンのように加速的に需要喚起が求められたりするなど、常に社会において不安定な立場に置かれています。この根本には、観光に対する国民の正しい理解が醸成されていないという課題があるように思われます。 今回のパブコメの募集についても、より多くの国民に、観光を他人事ではなく関心を持ってもらう機会としてアナウンスされても良かったのではと感じます。拝見する限り、観光庁HPやSNSなどでは発信されていないようでした(2/9に交通政策審議会観光分科会の資料は発信されていましたが)。もちろんパブコメという特質上、あまり広く多くのコメントが集まると収拾がつかなくなるというのは理解できますが。
11. その他 ・p.5に「一過性の補助金に頼らない持続的な観光戦略が策定されることを促進する」とありますが、計画書としての観光戦略に如何に補助金に頼らない、ということが記載されたとしてもその計画の実効性を伴わないと意味がありません。「補助金に頼らない観光戦略」の策定が重要なのではなく、補助金に頼らない観光戦略の実施が重要ではないかと感じます。都市計画のように法や規制というツールをあまり持たない観光分野の計画や戦略においては、必ずしも実現性は担保されている訳ではありません。それゆえ、戦略策定に留めずその実施に至るまでを含めておくべきではないか、という趣旨です。
・p.22に「重要文化的景観の選定」とありますが、それだけでなく、重要伝統的建造物群保存地区の選定にも触れて良いのではないでしょうか。
・p.31に観光統計の整備・利活用推進が記されている通り、観光戦略の立案や実施に向けては観光統計の整備は欠かせません。しかし、観光庁が進めてきた都道府県共通基準のデータは、参画している都道府県こそ多いものの、あまりデータを各都道府県から集められていない状況があります。また、今回、「人数に依存しない指標」という方向に大きく舵を切ろうとしている状況であることを踏まえると、共通基準の指標についても再検討が必要ではないかと思われます。
以上。
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