西川コラム:ラウンドアバウト

以前から気になっていた、自宅近くにあるラウンドアバウト。今日は用がありその周辺に出かける必要があったので、立ち寄って写真を撮ってきた。場所は埼玉県朝霞市のごく普通の住宅地の中。ここに突如として現れるのがこのラウンドアバウト。都市計画を研究する者としては、なぜ??という疑問を持ってしまうし、その理由を探りたくなる。



さっそく調べてみよう。コロナ禍で図書館にも出かけにくい今、気軽にインターネットで得られる情報から探ってみる。国土地理院は戦前から現在に至るまでの空中写真を全て無料で公開しています。これはとても凄いこと。このサービスを利用して、当該地域の過去に遡ってみました。以下は私の思考の順番に辿って書いてみます(写真は全て国土地理院空中写真より。スケールは合わせていないのでバラバラな写真が続きます)。


差し当たり、1970年代はどうだろう、と思い1975年の空中写真をみてみると…写真中央にすでにラウンドアバウトのような空間があることが分かります。だめだ、もっと前の時代に行こう。


続いて、1961年。この時代でもすでに市街地が形成されていました。ラウンドアバウトも確認できます。

ただ、少し引いて見てみると、まだまだ周辺には農地が残ります。今ではすっかり住宅地となっているこの地も、農業の盛んな街だったのだと知ることができます。

1961年の対象地周辺
少し引いてみると、まだまだ農地が残る

さて、もっと時代を遡ってみます。一挙に終戦直後に行ってみました。1947年。すると、これまでとは違い、対象地には木と野原が広がっていました。もう少し遡って1944年、そして1936年。どうやらこの対象地はもともと林だったようです(下の写真は左から1947年・1944年・1936年)。


このように、林だったエリアが一体的に住宅地開発され、その際にラウンドアバウトが計画されたのだろうと予測できます。それをはっきりするためには、もう少し1950年代の動きが知りたくなります。

空中写真を探すと、1955年のものがありました。薄っすらではありますが、この時点ではある程度街路が決定しているように見えます。ラウンドアバウトのところも、確かに広場のようになっているようです。


さて、これでラウンドアバウトが形成された年代が分かってきました。ただ、重要なのは、なぜラウンドアバウトが必要だったのか?ということ。それを探りたい。

そのために、改めてラウンドアバウトの現況を見てみます。すると、このラウンドアバウトは、南西から北東に走る道路と、南北方向の2本の道路によって形成されていることが分かります。南北方向の2本の道路が微妙なズレを作っているからこそ、この空間がスクエアらしくなっている。

そこでの疑問は、なぜ、南北方向の道路をズラすのか?ということ。一体的な宅地開発であれば、直線道路にすることができたはずですし、その方がコスト的にも土地の有効活用的にも良いであろうとは予想がつきます。それなのになぜ?

なぜだろう。人が計画しているので、必ず何かしらの意図はありそうです。

そこで、改めて住宅地開発当時の空中写真に戻ってみてみます。ずっと空中写真を見返していると…1956年と1961年の空中写真に何かしらのヒントがありそうだと感じました。


1956年が左側、1961年が右側。南西から北東に至る一本の道路を挟んで右側は綺麗な直角三角形になっています。左側は、いくつかの大規模な緑地が残り、それ以外の部分が宅地開発されていることが分かります。つまり、直角三角形の方はあまり大きな制約なしに1つ1つの区画を確保しながら街路網を計画することができた一方、左側は緑地による制約を受けつつ、どうやって区画を割るかという難しさの中で街路網が計画されたのだろうと推測されます。

そのように考えると、ラウンドアバウトを作り出している南北方向の道路のうち、西側(地図の左側)の道路は、東西方向のいずれも緑地に挟まれた狭い部分のちょうど中央に街路を設計したのだろうということが見えてきます。その結果、直角三角形側の道路とはわずかにずれた街路計画とせざるを得なかった。そして、斜めの道路との間にちょっとした広場空間が生まれ、そこがラウンドアバウトの交差点のようになった、ということではないだろうか。


文章では分かりにくいので、イラストレーターで図にしてみました。これで言いたいことは伝わるでしょうか。

あくまで地図をベースに推測したものに過ぎませんが、普通の住宅地で歴史を辿ってみることの面白さを感じました。


1950年代からすでに計画されていた市街地ということで、気になるのはどこが開発主体だったのか。そして、ラウンドアバウトという発想はどこから着想を得たのかということ。これについては追加調査が必要ですね。


朝霞で発見したラウンドアバウトは規模も小さく、ごく当たり前の日常のように近隣住民には見えているものかもしれません。ただ、こうやって歴史を紐解いてみて、あれこれ想像することは楽しいものでした。