今回の小川町訪問では、小川町の歴史についてお話をしていただきました。
はじめに、小川町の成り立ちと発展について。小川町の発展には小川町の立地、特に槻側の存在が大きく関わっているということが分かりました。川のきれいな水があるからこそ、質の高い絹や和紙、塩、素麵などといったさまざまなものをつくることができ、それらを舟で運ぶこともできるのです。和紙が小川町の特産であることは活動が始まったときから知っていましたが、それ以外にも多くの特産品があったことを知り驚きました。”小川町”という名前に川が入っていることも、小川町の発展に川が欠かせない存在だったと伝えているのではないかと感じられ、これからの活動で川を活かした取り組みも考えてみたいと思いました。
また、小川町の歴史を教えていただくなかで、小川市街の火事の多さも印象的でした。大学の授業で江戸時代は「火事と喧嘩は江戸の花」といわれていたように火事が多く、壊されることを前提に家が建てられていたと習いましたが、江戸時代だけでなく
明治・大正時代にもわたって同じ地域でこんなにも高頻度で火事が起こったということにびっくりしました。
お話を聞いたあと、小川町の白地図と照らし合わせながら昔と現在の移り変わりや場所について確認しました。ヤオコーやしまむらといった、現在全国展開されている店の発祥が小川町だということは以前聞いたことがありましたが、それ以外にも小川町には商業を営む店が多くあり、それが現在の蔵の多さにも関わっているのだと分かりました。また、銀行が多かったのもお金のやり取りが多くある商業のまちだからこそではないかと思いました。店が取り壊されていたり、現在は廃業になっていたりして、ただまちを歩くだけでは商業で賑わっていたという小川町の歴史を知ることはできなかったと思います。そう考えると、現在残っている蔵はとても貴重なものであり、歴史を活かした蔵の残し方についてもこれから考えていきたいと思いました。
一緒にお話を聞いた小川町の皆さんが何度も「知らなかった」とおっしゃっていたくらい詳しい内容ばかりで、どのお話もとても興味深かったです。まだすべてを消化できていないので、これから活動していくなかでもっと理解を深めていきたいと思います。
そのあと約3か月ぶりに楮畑にも行きました。楮は私の背丈以上の高さまで成長していて、鮮やかな緑色がとてもきれいでした。芽かきした葉を家に帰ってから調理していただきました。楮を食べるのは初めてでしたが、良くも悪くも癖がないというのが感想です。栄養素が高い楮を美味しく食べられる方法を考えてみたいと思います。
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